決められないときに、よく起きていること。
自分は、決めることに携わる仕事をしてます。
どの土地、建物を購入するのか。どの程度の価格で不動産を売却するのか。どの程度の金額、融資を受けるのか。不動産という言葉からイメージしやすいのは、こんな所でしょうか。
上記の決断は、クライアントが行う代表的なものだと思います。
クライアントの大きな決断を、お支えする立場。
「決めること」をサポートするなら、「決めること」をよく知らないといけないと、考えます。
しかし自分は、決められないタイプ、です。
学生時代、設計課題は徹夜で仕上げていました。準備にも時間をかけて、リサーチにも取り組んでいて、それでも〆切前に焦り出す。
さまざまな問題が絡み合って生まれていたその状況。
ですが、あえて一番の原因を探すなら、「決めること」が下手クソなのが大きかったように思います。
そんなわけで、恥ずかしながら「決めること」についてはあまり成功体験がないんですが…
しかし「決められないとき」によく起きていた状況はわかります。
「決められない」は内面の問題ではない
ひとまず、そのように仮定します。
すると、自分の場合、決められないパターンは以下の二つに分かれています。
①完璧主義
②隣の芝生
上の二つのパターンが、組み合わさると完璧です。
抜け出せません。
設計課題、卒業設計、何回もはまるんですね、これに。
①完璧主義
完璧主義、という言葉はポジティブにもネガティヴにも捉えられますが、「決める」際にはかなり厄介な言葉です。それらしい主義主張を孕んでいるような顔をしているから尚更に、です。
どれだけ調べて、比較しても、決断に完璧な状態は訪れない。その状態が続くと、
①−1 自分が決めたのだからそれでいいという立場をとる
①−2 外的要因によって決めざるを得ない状況に追い込まれる
…ということに。
①−1では、周囲には干渉不能な、完璧な決断理由を探す結果、「理由がない」という状況が「完璧」という判断になります。不完全な根拠で決断すると、「完璧」な状態にはなり得ない。そのため、「理由がない」状態で決断を下す事で、誰にも干渉されない「完璧」な決断が生まれます。
①−2では、外的要因により決断が自動で行われているため、自分が周囲から追求を受けることを免れます。決断する主体である事から逃れる事ができるわけです。
②隣の芝生
どんどん提案の要点がスライドしていくことがあります。
提案の中に、色んな方向へ発展していく可能性を見ているという意味で、とてもポジティブなことではあるのですが…
ヒートアップしていくと、連想ゲームのようにして、提案が大幅にずれていきます。
勿論、前述のように、それ自体は良いこと。
ただし、面白いと思ってずれを楽しんでいるうちに、決めるポイントを見失うのが問題です。
②−1連想していくことそのものの楽しさに没入する
②−2連想が飽和して、提案の芯が自分でも把握できなくなる
結局
さんざん調べ散らかして、結局〆切直前で提案が揺れまくる、〆切から逆算して提案をfixして提案が中途半端な状況になる。人に提案できるような状況にならない。
決められないときは、上記の二つのパターンの合わせ技にはまっている状態になります。
その状況に陥らないように、中途半端な状態で「中断」する、という態度が必要なのかもしれません。
①完璧主義では、理想的な環境の追求という形で
②隣の芝生では、終わりない連想ゲームの形で、
どちらも中途半端な状況でいることを避けようとするあまり、決められない。
それを回避するフロー、具体的に言語化していこうと思います。
実際の所、自分は優柔不断な所を多分に残していますが、建築家という「決断のプロフェッショナル」と協働する立場にいます。学びつつ、伝えられれば良いな、と思っています。
今回はひとまず、「決められない」を生み出す状況のまとめでした。